後場では、漁師の亡霊が静かに、しかし深い哀しみを湛えて登場します。その姿は、戦の陰で命を落とした名もなき人の無念そのものであり、母を残して死んだことへの悔いや悲しみを背負っているように感じられました。亡霊の語る言葉や舞の一つひとつに、ただ恨みをぶつけるだけでなく、「なぜ命を落とさなければならなかったのか」という深い悲しみと問いかけが込められていたように思います。
そのような昇華されない思いが、盛綱たちの読経の声とともに少しずつ癒され、やがて成仏していく過程は、まさに能ならではの幽玄の世界でした。
前場で、盛綱が老母の姿に心を打たれ、漁師を討ったことを自ら告白する場面があったことを思い返すと、後場での供養は、盛綱自身が自らの良心や後悔と向き合い、魂を鎮める行為でもあったのではないかと感じました。戦という理不尽な現実の中で忘れ去られがちな命の重みを、彼自身が再び見つめ直すきっかけになったのかもしれません。
今回、能楽鑑賞が初めての友人とそれぞれの感想を語り合ったのですが、「あのときの所作は、こんな感情を表していたのでは?」「あの場面はこう解釈できるのかも」と、互いに気づきを得る時間となりました。月並みではありますが、「お能の世界は深い」。そう実感させられましたし、彼女も確実にその魅力に引き込まれつつあるようです。